海の日


いよいよ梅雨も終盤に差し掛かって真夏の季節へ。今日の祝日は海の日だけど、そろそろ海開きして海水浴や潮干狩りを楽しめるところも多いだろうし。逗子の音霊もそういう雰囲気かな。海の日と言うと何故か海の家を思い浮かべたりするのだけど、何となくそういう海のイメージは本格的な夏が来たなと気持ちの上ではわくわくするような。夏ってのは暑さが苦手な者には辛いけど、それでも楽しい気分にさせてくれる。明るいと暗いでは明るいのがいいように、陰・陽で言えば陽が持つ力は凄いなと思う。


また、海の日と言えば小中学生にとっては夏休みの初日か。最近は週休2日制で今年だと18日から休みが多いんだろうけど、僕がそれだった頃はこの日が一年で一番嬉しい日みたいな感覚だったな。ちなみに週休では僕が義務教育生だった頃は小学校低学年の2年間は土曜は第2のみ、小学3年から中学2年までが第2と第4のほぼ隔週で、最後の一年間が完全週休2日だったかな。まぁ、高校以降は私立だから法定上の休日は関係なかったけど。
この海の日と夏休みで思い出すのはやはりその小中学生時代。最近は近所のコンビニで中学時代のクラスメートに偶然逢うこともあって、何となく回顧したり。


まぁ、下らんことではあるけど振り返ってみると小学生の時に比べて中学生の時は特に教師には恵まれていたなと今になると思える部分が。中学の時は学校が遠かったし、勉強のレベルも高くてしんどいこともあったけど、一番いい思い出の時期。担任教師も毎年クラス替えで変わったけど、3年間ともいい教員に当たったのは大きかったかな。思春期だの反抗期だのの頃でもあるけど、行事ものによるクラス交流なども多くて友達が一番多かった時でもあるし。でもやっぱりクラスを引っ張る教師のカラーってのは大きな意味があるんだろうな。


それに対して小学生の時は教師が散々。(なにゅ)小学生の時は2年に一度のクラスと担任の変更があったけど、低学年の1,2年の時は世話焼きでなければ教師は務まらないし、自分としても忘れ物とかがかなり酷かったから厳しかったのも仕方ないし指導上ではしっかりした人だったけど、3年次以降は最悪だった。
中学年の3,4年の時の担任は必要な授業をすっぽかして近くの公園に虫捕りや魚釣りに連れて行ったり、昼休みには教室で連ドラを堂々と見たり。昭和の時代の田舎の方の父親ならともかく、教師がそれってのは・・・。人間としては悪い人ではなかったと思うけど、時代を錯誤してたようなところがあったかな。


高学年の5,6年の担任はこいつこそが僕が大阪人を嫌いになるきっかけを作った糞ババア。タイガースの勝敗や調子によって授業態度や宿題を機嫌で変えるような異常極まりないゴミな奴。しかし、大阪近郊にはこういう屑が多いようで、今の大学にも"私のゼミを選択するなら、六甲おろしの1番ぐらいは歌えるようにすること"とか書く老害教授もいるし、他にもそんな話聞いたことあるし。まぁ、個人的に大阪人をここまで尋常じゃない程嫌いになったのは他の理由も積もり積もってではあるが、こういう狂人は監獄にでも突っ込まれるか、トラッキーとケコーンでもして甲子園球場を住みかにでもしとけと思う。


口を開けば愚痴みたいな感じで最後にはまた文句みたいな内容になってしまったけど、とにかくいよいよ本格的な夏。今年は特に夏を存分に味わえたらなと思う。