ダブリン事件


今回はまた海外版の世界短編傑作集のシリーズの方を。その中から"バロネス・オルツイ"と言う人が書いたダブリン事件を。この章はこの短編集の中では20世紀に入って最初の作品になるようで。作者はフランス革命関連のシリーズで有名となったイギリスの女流作家とのこと。この作品の主人公の探偵は"隅の老人"と呼ばれるが無名で、現場に行かずに人から聞く話で推理する安楽椅子探偵というものの先駆けになったらしい。


ロンドンのある喫茶店で老人は例のごとくダブリン遺言状偽造事件のことを話しだした。彼はポケットから遺言を書いた百万長者のブルックス氏と、その息子のパーシバルとマアレイの写真を出して婦人新聞記者のポリイ・バアトンに見せてダブリン事件の説明をした。同じ市にブルックス氏の遺言状偽造事件と、著名な弁護士のパトリック・ウェザード氏殺害事件が同時に起こったので捜査当局は混乱させられてしまった。


アイルランドは貧乏国で富豪は指で数える程しかいなかったため、故ブルックス氏がベイコン製造事業で巨万の富を手にしたことはダブリン市民の羨望の的だった。息子は二人いたがブルックス氏は次男のマアレイを可愛がっていた。教養高く、挙措応対の立派な社交界の花形で、顔立ちは美しく、ダンスは上手で、馬の乗せたら肩を並べる者はいず、父の可愛がりようもあって娘を持つ親はこぞって彼を射落とそうとしていた。しかし、父が死んで資産と事業を継承するのは長男のパーシバルである。彼も弟に劣らぬ才能があったが、人気のミュージックホールの素性の怪しい踊り子が恋人だったため敬遠されていた。しかし、パーシバルが踊り子と結婚を主張すればブルックス氏は財産を彼に譲ることを躊躇するであろう。


こうした事情の中でブルックス氏は夜遅く邸で急死した。苦しみだして2,3時間で息を引き取ってしまった。翌朝、新聞には彼の死と共に、その当日の夕方5時頃にブルックス氏の顧問弁護士パトリック・ウェザード氏が公園でブルックス邸訪問の帰りに殺されたことが載っていた。ステッキのようなもので殴られ、身につけていた金品は全て盗まれていた。
その後、ブルックス氏の葬儀が済んで遺言状の検証手続きが行われて250万ポンドの財産は全てパーシバルに相続された。これに反してマアレイは年額わずか300ポンドの捨て扶持を与えられたにすぎなかった。これは市民にとって予想外で、パーシバルが女たちの尻を追い回してる間、マアレイは父を孝行し愛情を独占してきたからである。結婚市場でのマアレイの価値は一挙に転落していった。


すると今度はマアレイが裁判所に対して1891年に作られた遺言書を出してその有効を求めると同時に、死亡当日に書かれたと称するパーシバルを単独受遺者とする遺言状を偽造として無効を求めた。新遺言状は納得のいかないことが多く、街の肉屋から成功したブルックス氏にとってはパーシバルの行動は許せず父子の間には毎日のように口論が続いた。パーシバルに相続するくらいなら慈善事業に寄付しただろう。
事件は秋に公判になり、パーシバルは悪友とは手を切って事業の運営に力を注いでおり、マアレイは邸を出てウィルソン・ヒッバード弁護士の貧弱な家に下宿していた。
一方、世間は情のないパーシバルを非難していた。


こうした中、市民は遺言状の真否を巡る訴訟に関心を持って後半の日を待っていた。ウェザード氏殺害については警察は最初は報道をしていたが、やがて発表を止めてしまった。その状態が続いたある日、アイルランド・タイムズ紙が謎めいたニュースを発表した。捜査が停滞していたウェザード氏殺害事件が予想外の進展になり、警察当局は重大な手掛かりを発見し、当事者の一人重要人物が逮捕されるのが必至とのことである。
数日後、遺言状偽造事件の公判が行われた。両当事者は早くから法廷に現れ、各々の勝訴を確信しながら弁護士と会話していた。パーシバルの弁護は有名な王室のヘンリイ・オランモアで、マアレイの弁護はウェザード氏と同事務所のウィルソン・ヒッバートの子息である新進のウォルタア・ヒッバートである。


新たに有効を求める遺言状は1891年付でブルックス氏が重病にかかった時に作成されたもので、顧問弁護士のウェザード・ヒッパード法律事務所に保管されていた。これには個人財産は均等に分与し、事業財産は全てマアレイに譲り、パーシバルには代償として年間2000ポンドの手当を受けるということだった。従って新遺言状が無効となりこれが復活すればマアレイは一挙に財産の大部分を相続することになる。
ヒッバート氏の冒頭陳述は新遺言状はブルックス氏に認められたものでなく、あの時に作成したとしても検認を求めたものは真正ではなく、全文偽造であると述べ、それを証明すべく数人の証明を申請した。
一方、オランモアは氏は慇懃に抗弁し、こちらも数人の証人を出した。被告側は新遺言状は死後に枕の下から発見され、有効に署名され、合法的に証人の署名もなされている。これの出現によって最初の遺言状は効力を失って意図に関わらず変更されると述べた。弁護士の応答は白熱し、双方から多くの証人が申請されたが決定的なしょうげんはなく、最後に法廷の興味はブルックス邸で30年程勤務している執事のジョン・オニイルの証言に注目が集まった。


ジョンの証言では、朝食の片付け時に隣の書斎からブルックス氏が立腹して嘘つきなどと罵声を言っているのが聞こえた。バレーの踊り子との言葉もあったが、パーシバルと顔を合わせるたびにブルックス氏は叱言していたためジョンは気に留めなかった。階下へ降りるとベルが鳴り、パーシバルが父が倒れたと呼んだ。馬丁に医者を呼ばせ、駆けつけるとブルックス氏は床に倒れ、パーシバルは真っ青に取り乱していた。ジョンはマアレイに知らせに行こうとするとパーシバルは何か言ったが聞こえなかった。医者は診察を済ませると、安静にするように言い、他が終わったら戻ってくると告げ、病状が悪いのだと知った。
しばらくしてブルックス氏はジョンを呼び、ウェザード弁護士を呼びよう頼んだ。ウェザード氏は3時に到着した。その後ブルックス氏はジョンと給仕頭のパット・ムーニイを呼び、ブルックス氏はジョン達が見る前で紙に署名した。ウェザード氏はジョン達にも署名するよう言い、二人は署名した。翌日、葬儀屋を手伝って遺骸の始末をしていると枕の下から紙が現れ、パーシバルに届けたと証言した。


ジョンはヒッバード弁護士の質問に答え、パーシバルは手紙を受け取った時一人で驚いたが何も言わず、前日署名したものとを何故分かったかの質問には同じものだからと答えた。ジョンの答弁は曖昧気味で、内容は読んでおらず、前日署名時にもブルックス氏が署名するのを見ていただけと言った。外見だけで判断したのかと質問されると間違いないと頑固に主張した。
マアレイの弁護人の論証は新遺言状は確かに作成されたが、それはジョンの手によってパーシバルの手に渡り、パーシバルはそれを破棄して、彼を全財産の単独相続人とする遺言状を偽造してすり替えたというものである。


ジョンの調査は続き、ヒッバート氏はパーシバルが新遺言状として裁判所の検証を経た紙片をジョンに示すと、ジョンはそれだと言明した。更にそれを広げてジョンに署名をじっくり見させると自分の署名でないと言った。ヒッバート氏はこういう手法で一旦認証を経た遺言状を偽造だとの結論に導いた。ブルックス氏の署名だけは精妙だったが、文言と他の二人の署名は無造作ですぐにそれと分かる不手際なくらい粗末な偽筆だったのだ。更に偽造犯人に好都合だったのが、ウェザード氏は新遺言状の作成を依頼されたが、ブルックス氏の死期が迫っているのを察して衰弱を速めてもいかぬと思ったのか、文房具やの印刷した遺言用紙に必要事項を書きくわえただけで、ブルックス氏には署名だけしてもらったのだった。そのため偽造犯人が書くべきところは普通の遺言状に比べて少なく済んだ。


パーシバルは偽造行為を否認した。バークストン・モード法律事務所に持参し、鑑定してもらうと形式は完全で有効なものだと言った。顧問弁護士ではなく他に行ったのは直前に新聞でウェザード氏が殺されたと知り、もう一人の顧問弁護士とヒッバート氏には面識がなかったと言った。
この経過で裁判所は署名の真否を鑑定することになった。その結果新遺言書は偽造と宣告され、最初の遺言状が正当と認められた。そして文言に沿って財産の大部分はマアレイに相続されることに変更された。


2日後、文書偽造罪でパーシバルに逮捕状が発行された。刑事法廷ではブルックス氏の最後の様子と偽造遺言状が問題になった。オランモア氏に付き添われて被告席に立ったパーシバルは毅然たる態度をしていたが遺言状の偽造で利益を得るのはパーシバルしかいないため蒼白に検事の論告を聞いていた。オランモア氏は動揺も見せず冷厳な態度だった。オランモア氏は切札を2つ持っていた。彼は陪審員の心理を動かすために効果的な方法を知っており、一つは時間の問題だった。ジョンはオランモア氏の反対訊問に遺言状を渡したのは午前11時だと証言し、次にバークストン弁護士を証言台に招いてパーシバルが法律事務所に訪れたのは12時15分だと証言させ、念に二人の事務員に確認させた。
これらの手続きを踏んでオランモア氏は弁論を始めた。検事の論告が正しければ、ジョンから遺言状を受取るまで僅か45分でブルックス氏は文房具店から用紙を買ってきて、それにウェザード氏の筆跡に似せた文言を記入し署名したことになる。予め計画を立て、準備万端で実行したならば不可能ではないかもしれないが、常識では人間業ではなせない。陪審員は動揺した。


オランモア氏は終幕の効果を上げるべく更に二人証人を招いた。一人はブルックス邸の小間使のメアリイ・サリバンで、彼女は午後4時15分にブルックス氏の部屋に湯を運んだ。部屋の前でウェザード氏と遭遇し、戸口でブルックス氏に遺言はポケットに預かり、誰にも改ざんさせないと言うのを聞いた。この証言は既に死んだ男が死んだ男に話した言葉に過ぎないため、パーシバル攻撃の証拠に対抗させるのは無理があるが、動揺の兆しが見えたところでのこの証言は効果的だった。
更に追い打ちをかけるようにマリガン博士を招いた。メアリイの証言を裏付けるためで、権威ある博士の証言で効果は決定的なものになった。博士は4時半近くに診察に行き、ブルックス氏は意識はしっかりしていたが心臓は衰弱し危険な状態で時間の問題だった。ブルックス氏はウェザード氏が遺言状を持って帰って変更できないことで気持ちが落ち着いたと微かに言った。


これで検察側は負けと決まったようなものである。オランモア氏はまたしても追い打ちをかけ、遺言状は偽造されておりパーシバルの利益になるが、パーシバルはそれを知っていたかもしれないがそれを立証はできない。しかし証言を揺るがすことはできず、証拠はパーシバルの無罪を指し示している。
二人の証言でウェザード氏がポケットに遺言状を入れてブルックス邸を去ったのは4時15分過ぎだと分かった。5時には公園で死体で発見されているが、その間パーシバルは一歩も外に出ていない。この事実も立証された。枕の下から現れた遺言状は偽造と明白されたが、ウェザード氏が持っていた真正の遺言状は何処に行ったのか。


ブルックス氏が死んだ日にも親子喧嘩があったが、いつもより激しい論争の挙句ブルックス氏は心臓を痛めて倒れた。数時間後その衝撃により心臓麻痺で死んだ。その間遺言状は書き改められていたが死後発見されて検認を受けたものはそれでなく偽造されたものだった。この事実が明らかになった結果、誰もが一足飛びに偽造によって利益を得るのはパーシバルだけだから犯人はパーシバルに違いないと結論に到着した。
しかし実際には弟の半分にもならない。その遺言状は偽造ぶりが稚劣で調べればすぐ露見するような代物だった。何故そんなぞんざいな偽造をしたのか。


ブルックス氏が卒倒する程論争した相手は実はパーシバルではなくマアレイだった。普段のこともあり、皆がパーシバルだと思い込んでいた。ブルックス氏もマアレイを信じていたが、あの日に何かの事件が起こった。そこへジョンはブルックス氏が嘘つきと言うのを聞いた。パーシバルの道楽は公然で騙してはいないが、マアレイは父に取り入り欺いていたのだ。そして偽善者の報いとして最後に全てが露顕した。それが論争の原因だった。そのためブルックス氏が倒れた時パーシバルは寝室に運ぶのに大わらわだが、マアレイの姿は見えなかった。親孝行で有名なマアレイが姿を見せなかったのは、彼はブルックス氏が激昂して遺言状を書き直すと悟った。ウェザード氏が招かれたことも4時に帰ったことも知っていた。


マアレイは公園に先回りしてウェザード氏を待ち伏せ、ステッキで襲い遺言状を奪った。しかし、ウェザード氏は殺したが事務所の職員やブルックス邸の召使が新遺言状を知っているかもしれない。新遺言状がブルックス氏の死後現れないとそこから彼の犯行が発覚する恐れがある。マアレイは偽筆が巧みでなく、必ず偽造と判明するに違いない。むしろ初めから偽造遺言書を発見させるように手配しておいた方が安全で好都合なのだ。
1891年の遺言状は彼に有利なものだからそれが有効でありさえあればいい。それが真相である。そのような計画は案出するのが一苦労で実行は簡単に済んでしまう。マアレイが持っていた数時間で十分だった。そして夜中に偽造遺言状を枕の下に忍ばせれば終わりである。
一方、パーシバルは陪審員の答審で証拠不十分のため無罪になった。


まぁ、これの感想は短編の中でも一番短かった割に中身はそこそこ深かったかなと。話の中だけの展開ではあるけど、実はストーリーにヒントがある推理小説らしい楽しみ方ができるし。まぁ、善人と思われているのが実は腹黒いというパターンは事件ものにはつきものだな。評判も良すぎず悪すぎずってのが一番だろうけど。